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第12回手のひらをくらべあってどうするの大きいほうがやさしくするの

「NHK短歌」(日曜朝・教育テレビ)を見ていると、次のような一首がありました。
手のひらをくらべあってどうするの大きいほうがやさしくするの(平野淳子)

幼稚園でしょうか、保育園でしょうか、それとも小学校の低学年の教室でしょうか、子どもたちは先生に「隣どうし、手のひらをくらべあってみましょう」と言われ、近くの友だちと右手と左手あわせてみた子どもは、「せんせい、くらべあってどうするの」と聞きました。すると、先生はにっこり笑って「大きいほうがやさしくするんです」と伝えたのです。

日ごろ、子どもたちが比べあうのは何でしょう。背の高さを気にしてみたり、足の速さなどは気になることでしょう。小学生になれば、描いた絵の出来やテストの点数なども比べあっては自信をもったり、自信をなくしたりするかもしれません。

「手のひら」を比べあう? そんなことはこれまでしたことがありません。そっと合わせてみると、手のひらの大きい小さいよりも、そのあたたかさや冷たさ、やわらかさやざらざらした感触などが伝わってきます。

「手のひら」が大きかったらやさしくしてあげて、小さいほうはやさしくしてもらう。やさしくしてもらった子も、自分より「手のひら」の小さい友だちにはやさしくしてあげる。

人が人とつきあうときの心のもち方が、幼い子どもにふわっと伝えられる。なんと素敵な教室です。

今年(2010年)の1月17日、阪神・淡路大震災が起きて15年が経ちました。激震が襲って街が崩れ落ちた衝撃的な映像は、鮮明に私の脳裏に刻まれています。
あの日の4日後です。がれきの積み重なる神戸の街に、「地しんでお家をなくしたお友だち しばらくの間 わたしの家に来て下さい。」と書かれた張り紙が張られました。張ったのは、京都市に住む小学2年生の大石彩未(あやみ)さんです。

あの朝、そろそろ目が覚めようとするころ、彩未さんも地震に遭いました。京都市内でも震度5だったそうです。テレビが伝えつづける惨状はものものしくて、息を呑んで見つめました。

父は大学教授で、さっそく学生と救援物資を持って神戸に向かう計画を立てました。一緒に付いていくことになった彩未さんは、「自分にできることは何かないか」と頭をひねって考えました。

避難所の体育館には家を失い、身を寄せて過ごす子どもたちがたくさんいます。その姿をテレビで見ると、ぎゅっと抱きしめてあげたくなる。そういう思いが募って、「張り紙」を作ることにしたのです。

地しんでお家をなくしたお友だち しばらくの間 わたしの家に来て下さい。―――彩未さんは色鉛筆で1文字ずつ色を変えて書き、大好きなリカちゃんの写真も貼りつけました。

父たちと被災地に入ると、道路は裂けて電柱があちこちで倒れていました。西宮から神戸に向かって10キロほど歩き、1200人ほどが避難生活を送る小学校に着き、物資を渡しトイレ掃除などを手伝った彩未さんは、帰り際にリュックから「張り紙」を取り出し、父と家々に張って回りました。

「張り紙」には自宅の電話番号を書き添えていて、連絡が来るのを待ちましたが、結局、一本もかかってきません。「なんにもできなかった」としょんぼりする彩未さんでした。

しかし、その「かわいい手書きの張り紙」は多くの被災者の目に止まり、心をなごませました。たまたま通りかかった箕浦太一郎さん(保育園理事長)は胸が熱くなって、カメラのシャッターを切りました。

昨年、朝日新聞は「震災にまつわる思い出の写真」を広く募集したところ、その中に「張り紙」を写した箕浦さんの1枚があって、大石彩未さんは「15年前の自分」と思いがけずに再会することになりました(朝日新聞・1月17日)。

大石さんは現在大学生になっていて、演劇を学びながらテレビドラマにも出演しています。「15年後の自分には、あの時の自分が眩しくてなりません」と大石さんはブログに書き、これまでの人生の“根っこ”にあったことを次のように探ります。

《今回の出会いで気付かせてもらったことがあるのです。人の心に触れてきっかけを作ること。これがわたしのすべての根っこにあるんだってこと。いままでばらばらにやってきたように思えていたことが、初めて一本に繋がりました。

いままでわたしがやってきたことも、全部この同じ根から伸びているんだって、今なら確信を持って言えます。俳優ってその最たるものじゃないかな。媒体を通してたくさんの人に何かが出来る。

何かってのは、楽しんでもらえたり、明日もがんばろうって思ってもらえたり、いろんなことを考えるきっかけになったり、ちょっと違うんじゃないの?って思ってもらうのも一つ。だって「違うんじゃないの?」って思うことは、自分が「そう」だと思うことを見つめなおすきっかけになるでしょ? 
自分の“根っこ”を知ることが出来たのは、今のわたしにとってとても大きいことでした。》

「手のひらをくらべあってごらん」と言って、子どもの心と心をつないでいく教師。切ない思いで過ごす名前も知らぬ友だちを励まそうと、「張り紙」を作って家々に貼り歩く子ども。

私たちが心深くに思いを届けようとするとき、《手》の果たすはたらきは測り知れないほど大きいようです。