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2015.06.19 学長コラム 第1回100歳を生きた人のしずかな言葉

 平成20年の大晦日、NHKテレビは『あの人からのメッセージ・2008』を放映しました。「2008年、時代を駆けた巨人が数多く亡くなりました」というナレーションで始まったこの番組で、この年、惜しまれつつ逝去した各分野の第一人者が語る言葉に、私は耳を傾けました。
 漫画家・赤塚不二夫、児童文学者・石井桃子、映画監督・市川昆、俳優・緒形拳、作家・小川国夫、評論家・加藤周一、ジャーナリスト・筑紫哲也、ノンフィクション作家・柳原和子、そして永平寺住職・宮崎奕保(えきほ)の各氏です。
 コメンテーターの岸本葉子さん(エッセイスト)は、番組の感想を次のように述べました。
 「これらの方々は2008年に亡くなった方々であるけれど、2009年からその方々とともに生きることが始まるようなきっかけになりました。これから、その人の映像なり本なりに接して、もっと分かりたくなりました。」
 私もまったく同様の思いをいだいて、9名の方々と新しい出あいをしました。
 例えば、緒形さんは「演じることは、演じないことに通じていくんですね。どこかで、そこを目指して、そういう思いだけであとは何もしない。そういう役者になれたらいいな。『あれ、下手だなあ』と言われたら最高の賛辞だね」と語りました。
 確かに、テレビドラマなどを見ていて、演技しているな、わざとっぽいな、飾った振りをしてるなと思ってしまうことがあります。そう感じると気持ちが冷めていくのです。「演じる」という意識が消えて、その人物として「自然に生きよう」と努める緒形さんでした。
 石井桃子さんが子どもたちに贈るメッセージは素敵で、教師はいつもこの言葉を心に置いて、子どもたちに接してほしいと私は思いました。

 子どもたちよ
 子ども時代を しっかりと
       たのしんでください。
   おとなになってから
   老人になってから
 あなたを支えてくれるのは
 子ども時代の「あなた」です。

 コメンテーターの高橋源一郎さん(作家)は、石井さんの翻訳した『クマのプーさん』を幼いときに何度も読みました。今、同じ本を2歳と4歳の子どもがたのしんで読んでいます。「何世代にもわたって、読まれているんですね」と述べたあとで、「子どもでも、難しいことは分からなくても、言葉の美しさは朗読すると分かるんです」と語るのでした。

 私は、宮崎奕保さんについて何も知りませんでした。曹洞宗・永平寺の第78代禅師で、昨年の1月5日、106歳の高齢で逝去したといわれました。
 番組には、宮崎禅師に何回かインタビューしてきた立松和平さんが、コメンテーターとして出席もしていました。禅師と対して伝わってくる“空気”を「禅師さんは腰が曲がっておって、老人の風体ではあったのですが、間向かって座ると、《山》のような方なんです。大きい方なんです。言葉の一つひとつが深い影響をこちらに与えるんですよ」と語ってくれました。
 《山》のようにどっしりと屹立して語る一つひとつの言葉は、余分なものをそぎ落とした精髄として、私たちに届けられてきました。
 「坐禅」というのは、私の認識では足を組んで姿勢を崩さず、無念無想の境地に入って悟りを求める苦行です。しかし、宮崎さんが行いつづける「坐禅」は違っていました。
 それは《まっすぐ》ということで、背筋をまっすぐし首筋をまっすぐし、右にも左にも傾かないということ、それはまた《正直》ということでもありました。身と心は一つであるから、体をまっすぐにするならば、心も自ずとまっすぐになるものだからです。
 したがって、足を組んで坐ることだけでなく、歩いたら歩いたで禅、しゃべったらしゃべることが禅、スリッパを脱ぐのも坐禅なのです。
 つまり、脱いだスリッパがそろっていてもいなくても気に止めず、次の行動に移っていく人がいます。なぜ、曲がったスリッパを直せないか。それは、その人の心がまっすぐでないからだと禅師は述べるのです。
 羽生善治さんがどこかで述べていましたが、強い棋士は一つひとつの将棋を升目の真ん中に置くそうです。決して升目に掛かったり、曲がって置くことはありません。心があっち向いたりこっち向いたりして定まらない人には、そういうことがきっちりできないのです。
 あたりまえのことをあたりまえにできる《まっすぐな自分》でありたい。宮崎さんはそのように願って、100歳を過ぎても坐禅をしてきたのでした。
 禅師に言われて心にすとんと落ちる指摘は、ほかにもありました。毎日日記をつけつづけてきて述べる言葉ですので、「そのとおりですね」とうなずいて聞いてしまう言葉です。
 「自然はりっぱだ。私は毎日日記をつけておるけれども、何月何日に花が咲いた。何月何日に虫が鳴いた。それがほとんど違わない。規則正しい。そういうのが法だ。法にかなったのが大自然だ。法にかなっておる。だから、自然の法則をまねて人間は暮らす。人間の欲望に従っては、迷いの世界だ。
 真理を黙って実行するというのが大自然だ。誰に褒められるということも思わんし、これだけのことをしたらこれだけの報酬がもらえるということもない。時が来たならば、ちゃんと花が咲き、そして、褒められても褒められんでもすべきことをして、黙って去っていく。そういうのが実行であり、教えであり、真理だ。」
 この春、桜は東京では3月21日に開花しました。桜の樹は、人間が狂わせてきている地球の状況を「咲く時期を早める」ということで、黙って私たちに教えてくれているのかもしれません。

 黙って真理を実行する大自然のように、たいせつなことをしずかに私たちに伝えてくれる《山》のような方たち。長い人生を生きて、思い、感じ、考えて届けられる一つひとつの言葉に、私は耳を澄ましていきたいと思います。石井桃子さんも享年101歳でした。
 高橋源一郎さんは、番組の最後に次のように述懐していました。
 「老人っていいんじゃないか。今の社会は基本的には老人や病人を排除する社会です。元気な人だけが働いて、あとの人たちはあまり役に立たないで、なるたけ静かにしていてくださいと考えている。しかし、こんなふうに年取るなんて、いいよね。」

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