2021年10月のこと

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プロローグ

2020年4月に出会った学生も、2022年3月15日桜満開の中で卒業していった。

「別れの3月、出会いの4月」とは、そんな意味なんですかねぇ。

いまでも、卒業生は連絡をくれるので、「別れ」の寂しさは感じません。

旅だった卒業生は、新しい環境で、新しい出会いがあったようで、連絡をもらうのが何よりも楽しみです。先生は、一生ものの師匠であるから「死ぬまで面倒見ますよ」という約束をしました。

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「1月は行き、2月は逃げる、3月は去る。」昔の人は、上手いことを言ったものです。

もう、4月となりました。時の流れは早いものです。

「 朋(とも) 有り、遠方より来たる、亦(また)また楽しからずや(遠いところから、志を同じくする友人がてくれるのは、なんと楽しいことだろう)」

学長先生が、入学式でお話しする論語の名言です。学校を通じて初めて巡り合った学生が楽しそうにしている姿を見るたびに思いだす言葉です。

 

2021年10月のこと~入院

 pic01 病室からの風景右下に見えるのは「多摩川」遠方に見える山は、奥多摩という東京の西のはずれです。退院する頃、山の木々は緑からオレンジに色づいてきました。

2021年10月7日の朝のことです。寝床から起きられない、力が全く入らない。「どうした自分?」から始まった出来事です。食欲も全くなく・・・、何かの病気を感じました。その日から夜間診療を含め4回の医者通いをしました。すべて「急性胃腸炎です」という診察でした。もらう薬は乳酸菌を含む胃腸薬で体調は良くなりません。とうとう5回目の診察で「急性腎不全」と診察されました。これは、「当たり」でした。最高血圧は80と下降しており、ウルトラマンと同様、3分も持たないかもと脅され、点滴を打ちました。

即、腎臓内科のある総合病院へ入院しました。初めての入院、入院は辛いものですね。入院後は、14日間の絶飲食です。食事は、1日3リットルの点滴のみです。昼夜問わず2.5リットルの排尿、これが主な治療でした。7日目頃から不思議なことに「桃の缶詰のつゆ」が飲みたくなり、見る夢は食べ物ばかり、食べ物は口に入ることなく目覚めます。長くなるので闘病生活の説明はここまでとします。

 

ここで迷惑を掛けた学校ならびに教職員、学生にお詫びをしておきます。

・会議中、「帰れ」と荷物をまとめてくれた先生、ありがとう。命の恩人です。

・入院中、毎日連絡をくれた先生ありがとう。勇気が湧く連絡でした。

・お手紙をくれた先生ありがとう。休講中、迷惑を掛けても易しく応対してくれた教職員全員にありがとう。

・授業を休講にしたにもかかわらず「先生大丈夫?」「ゆっくり治してください」「先生、生きてる?」など連絡をくれた多数の学生にありがとう。

あらためて、この学校のやさしさを感じました。みなさん、ありがとう、ありがとう。

 

入院15日目から退院の準備のための食上げ(少しずつ通常食へ変更)です。

 pic02 食上げ1日目の食事朝食・昼食・夕食は、これだけです。これはGFOというものです。グルタミン、ファイバー、オリゴ糖の頭文字がGFOの名称の由来です。これでも嬉しかったぁ!
 pic03 食上げ2日目から退院前日までの食事。米粒なしのおかゆ、おかずは2つ、内容不明、なんとスヌーピーの蓋つきのプリンが付いてます。これは、嬉しかった。味はプリンなの、でしたが。

このあとは、3分粥、7分粥、全粥と続き、退院前日は柔らかめのご飯でした。

こうして、無事に退院の前日となり点滴も外れ、寝返りをうてる自由な睡眠が取れました。熟睡は20日ぶりです。

退院の日、お世話になった看護師さん7人が「また来てねぇ💛」と見送ってくれました。ふ~。

 

エピローグ

過ぎ去りし日を思うとき、喜び、怒り、哀しさ、楽しさが過ぎ去った日を包みこんでいます。

そのとき、いまを眺め、明日に気持ちを向けるとそこには喜怒哀楽はいなくなっています。いるのは希望です。

喜怒哀楽に包まれて人は生きています。そして、希望へ向かって生きていきます。希望がある限り、人は人として生きていけると思います。過ぎ去りし日が呟きます。「諦めるな」「面倒なことほど大切なことが多い」「苦しいときほど一途になれ」、学生を励ます言葉です。(by並木)