物語の世界からの学び

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暑い日が続いていますが、ほんの少し秋の気配を感じられるようになってきました。

夏が終わるのは寂しさもありますが、涼しくなるのが待ち遠しい今日この頃です。

秋と言えば、「読書の秋!」ですね。先日、実写版の映画のDVDをお借りしたのをきっかけ(ありがとうございました!)に、今、私は「赤毛のアン」にはまっています。

赤毛のアンと言えば、孤児院からマリラとマシューの兄弟に引き取られ、少女から大人に成長していく物語です。保育コースでは、先日も児童養護施設の先生方にお話を伺ったばかりで、時代は違えどもアンに妙な親しみを感じてしまいます。

よく考えてみると原題「Anne of Green Gables」の日本語訳「赤毛のアン」というのは、アンが気にしている赤毛をタイトルとして前面に押し出しているわけですから、アン本人であればきっと憤慨(ふんがい)するのだろうなど現代人の私は思ってしまいます。でも、赤毛のおかげでギルバートと鮮烈(せんれつ)な出会いをし、その出会いが数年後に実を結ぶのですから、コンプレックスも転じて福と成すと言えるのではないでしょうか。日本語訳を行った村岡花子さんは、以前NHKの朝ドラにも取り上げられていますが、戦後すぐの時代にこんなに素晴らしい和訳をされていることに尊敬の念を抱いておりますことを申し添(そ)えておきます。

ところで、アンシリーズを読みながらも子どもについて学べることがあります。「アンの愛情(モンゴメリ作 新潮文庫)」には、アンが引き取ったデイビーという男の子が登場するのですが、ある日曜日にデイビーは教会に行くのが嫌で、友達と遊びに行ってしまいます。そのことを大人には内緒にして教会に行ったと嘘をついていました。でも、夜になってついに我慢できずにアンに打ち明けます。「神様にわかったら恥ずかしい」というデイビーにアンは神様に許してくださいと頼むように言います。神の存在が子どもの良心を形作るのに大きな役割を果たしていたのだと気づかされます。

日本では、「いやいやえん」(中川李枝子作・大村百合子絵:福音館書店)という今でも子どもに人気の児童書がありますが、何でも「いやいや」というしげるが登場します。しげるが、この「いやいや」をやめるであろうきっかけは、いやということは何もしなくても良い、みんなが好き勝手なことをしている「いやいやえん」に行ったことです。そこでしげるは秩序の大切さを身に染みて感じます。現代の日本の保育に通じる体験によるしげるの良心の形成とデイビーのエピソードを比べてみると面白く興味深いですね!

子どものことを学ぶのに児童文学というのはとても有益であると私は考えています。長い間子どもたちに人気のある児童書には必ずそこから学べる何かがあります。

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学生との少人数の授業で、子どもの頃好きだった児童書について発表し合ったことがあります。授業ではそれぞれの学生が、大人になって忘れてしまった子どもの気持ちを思い出したようです。「おしいれのぼうけん(古田足日・田畑精一作 童心社)」「ジェインのもうふ(アーサーミラー作 偕成社)」「大どろぼうホッツェンプロッツ(プロイスラ―作 偕成社)」「はじめてのキャンプ(林明子作 福音館書店)」「ねこのタクシー(南部和也作 福音館書店)」……などなどの児童書から子どもの気持ちの変化などを語り合いました。

「ジェインのもうふ」では、新しい毛布を買ってもらったのに赤ちゃんの頃から使っていた毛布(「もーも」)がどうしても手放せないジェイン。ジェインの気持ちの読み取りから、保育所でのお昼寝の際、自分のガーゼのハンカチをずっと持っていたい子どもの気持ちに寄り添えそうです。いつの間にかジェインは「もーも」なしで過ごせるように……。「もーも」なしで「過ごさせよう」とするのではなく、「いつの間にか」という子どもの成長を見守る視点の大切さも学べました。

「はじめてのキャンプ」で、大きい子に頑張ってついていったなほちゃん。夜怖いお話を聴いて寝ました。トイレに行きたいけど、誰も起きてくれません。怖い気持ちに何とか打ち勝って……。大人から見ると小さな出来事が子どもの心の成長に大きな影響を与えていることに気が付きます。

「おしいれのぼうけん」で、ねずみばあさんが出てきたシーンがトラウマになったという学生がいました。私からすると、押し入れに子どもを閉じ込める保育園の先生も相当怖いけど、(今はそんなことできません!)子どもたちに聞いても、一番怖いのはやっぱり「ねずみばあさん」ということです。人ではない何かへの畏怖の念というのは、現代においても必要なのではないかと思わされます。物語の中で現実世界を超えた何かに出会えるというのは、素晴らしい体験ですね。

「大どろぼうホッツェンプロッツ」では、学生は「魔法」というワードに魅力を感じたということです。大どろぼうなのに、何だか抜けていてカスパール少年にもおちょくられる人間的な魅力あふれるホッツェンプロッツ。私は、カスパールの両親がなぜ登場しないのか、気になります。そういえば、人気の絵本「こんとあき(林明子作 福音館書店)」にも両親は登場しないのですよね。きっと、両親がいないという設定が自立に向けての冒険には必要なのでしょう。

カスパールとゼッペルの少年二人の帽子にも着目しました。帽子は二人にとってのアイデンティティーの源(みなもと)なのです。子どもにとって身に付けるもの、愛着のあるものというのは大人が考える以上に意味を持っていると思うのです。

そんなことを語り合った学生さんたちも今はもう保育の現場で立派に先生として活躍をしています!子どもの気持ちに寄り添える先生として、頑張って欲しいと願う日々です。

ブログを読んでいるみなさんも、ぜひ、秋の夜長に読書を楽しんでくださいね!

(小倉定枝)