答えのない問い

「なぜ夜になるの?」「なぜ寝なければいけないの?」「なぜウンチがでるの?」。4歳の息子が、日々、いろんな「なぜ」に出会っています。

マジメに答えることもありますが、答えることをせず、「なぜだろう?なぜだと思う?」と返してみると、あれこれ面白いことを考え出すのです。「もしかすると、すごく大きな雲があるからじゃない」「もしかすると、お日様が寝ちゃったんじゃない」「もしかすると・・・」。

「難しくてわからないよ」と言ってくることもあります。でも、考えて思いつくと、「きっとそうだ。そういうことだ。僕わかっちゃったよ~」と得意げな顔で説明をして、ひとまず納得。すぐに話題を変えたり、絵本の世界に没頭していったりします。

でも、それで終わり、というわけではありません。しばらくして、それが数日後のこともあれば数週間後のこともありますが、「なぜ夜になるんだろう。もしかすると・・・」と、また新たなアイデアを喋り始めるのです。

すぐに答えを出さなかったことで、息子のなかでその問いがずっと生きている。どこかで考え続けている。それが成長を支えている。息子の様子をみているとそう感じさせられます。

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「答えを出すのではなく、答えのない問いと付き合い続けるセンスを磨く」。

これは私が、大学院時代に恩師から学んだ大切なことのひとつです。親として子どもに向き合うとき、教師として学生に向き合うとき、この言葉が頭の片隅にあります。

私たちはわからないものや謎に出会ったとき、答えを出そうとします。叶うなら、できるだけはやく答えをだしてスッキリしたい、そう思いますよね。

でも、わからないものをわからないままにしておくこと、これもまた大切なことなのです。それは、問い続けていれば、答えよりも多くのことに気づけるからです。

理解を急がず、謎を謎のままとして関心を向け続ける。そうすることで問いが深まり、広がり、より深い理解にたどり着ける。息子の姿と成長はそのことにあらためて気づかせてくれるものでした。

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そうはいっても、問い続けることは容易ではないですよね。「わからない、もう知らない」といって考えるのをやめてしまわず、でも簡単に「わかったつもり」にもならない。

これがなかなか難しくて、宙ぶらりんでいられる力、わからない状態を耐え抜く力が必要になってきます。とくに今、答えのないコロナ禍のなかで、恩師の言葉を思い出しながら、そんな力を身につけたい、もっと磨きたいなどと考えていました。

短大ではいろんな「学び」があります。「すぐに効果が出る学び」もあれば、「もっと先の未来の自分を支えてくれる学び」もあります。私が担当する「教育原理」では、後者を願う内容が多いように思いますが、それは「問い」に出会うことになるからです。

教育とはなにか、学校とはどんな場所か、子どもとはどんな存在か。「教育」を根っこから問い直していくと、「当たり前」が崩れていきます。「あらためて考えたことはなかった」。「わからなくなった」。「そんな視点はなかった」。学生たちは戸惑って、面白がって、そして「問い」との付き合いが始まります。

問いと出会うこと、問いとじっくり付き合っていくこと、それを邪魔しないようにすること、そういったことを大事にしたいと考えています。

(川口陽徳)