『温故知新。』

nasa01

いや~、お久しぶり。以前と比べ、やや明るい兆しも見えてきましたが、コロナ自粛はまだまだ続きます。外でウロウロすることなく自宅に籠もる時間が増えたぶん、昔読んだ本を読み返すことも多くなりました。過去に出会った「あの一冊」によって「今の自分」があることをフト実感したりします。ずいぶん昔に付き合った元カノを想い出し、「あ~、いいオンナだったなぁ。。。」と感慨に耽(ふける)るが如し。過去の記憶が無意識下で美化され、まるで映画のワンシーンのような光景が脳裏に浮かぶ。こーゆー「甘美なる追憶」を「自己陶酔」とか「妄想」といいます。アホだね、ホント。

閑話休題。今回は英語教師の端くれである筆者が出会ったとびっきり「いいオンナ」、じゃなかった、とびっきりの「名著」をキミにだけ、ナイショで紹介しよう。

現在10代後半から20代初めくらいの世代にとって、「國弘正雄(くにひろまさお)」という名はあまり馴染(なじ)みがないかも知れない。1960年代から70年代にかけ、アメリカが国家の威信を賭けた壮大なるプロジェクト「アポロ計画」で宇宙中継の同時通訳を務めた英語の達人です。

nasa01

そもそも「アポロ計画」ってナニ?あのカワイイ三角のチョコレート「アポロ」?と思ったキミ、いい勘してます。超ロングセラーのこのチョコは、今から遡ることおよそ50年前、人類初の有人宇宙船による月面着陸を成功させた「アポロ宇宙船」のカタチをイメージしたと云われています。

アポロ計画の中心人物、フォン・ブラウン博士は第2次世界大戦で「V2号」という、現在の大陸間弾道ミサイルの原型を開発したナチス・ドイツの科学者。ヒットラーとニコニコ笑って写る「記念写真」は有名だ。こんな「悪魔の科学者」だが、あまりにも優秀、というか、飛び抜けた大天才だったので戦後アメリカに破格の待遇で引き抜かれ、同国の宇宙開発を牽引した人物でした。核兵器やコンピュータと同様に、戦争が科学技術発展の原動力となったワケだね、残念だけど。

さて、國弘氏が「英語の話しかた」というタイトルの本を出版(初版は1970年、サイマル出版)したとき、世間の人々はソレッ!とばかり飛びつきました。世界の大舞台で英語の同時通訳を務めたヒト、といえば英語の「究極の達人」に違いありません。その達人が英語上達の秘訣を伝授してくれる、というのですから当然のことでしょう。語学に多少なりとも興味をもつ高校生や大学生、社会人から中・高の英語の先生、大学で教える英語の専門家までがアツ~イ視線を送りました。

でも國弘氏のメッセージは「以外にも」というか、分ってるヒトには「当然ながら」というべきか、単純明快な「ひとこと」でした。

鎌倉仏教の一派、曹洞宗の坐禅で『只管打坐(しかんたざ)』というコトバがあるそうで、「悟りを得るためにはただひたすら座れ」との意だとか。これをアレンジした國弘氏による造語『只管音読』は当時の英語教育界を席巻したのです。要するに「英語を話せるようになりたければ、ただひたすら音読せよ」ということです。音読するテキストとして、國弘氏は中学校のリーダーを薦めています。

そんなに単純なコト?キミは思うかも知れない。「真実」は意外と身近なところに、さりげな~く、地味に転がっているものだよ。『巧言令色 鮮し仁(こうげんれいしょくすくなしじん)』。これ古典でやっただろ。知らなかったらネットでググってくれ。

筆者は「武道オタク」なのでよ~くわかります。小野派一刀流という剣術では「切り落とし」という「戦闘理論」を重視します。相手が上段から自分の頭部をめがけ、まっすぐに剣を振り下ろしてくるのに対し、この攻撃を避けず、受け止めず、自分も同じく正面上段から踏み込んでそのまま切り下ろすのです。自分の切っ先が相手の剣の軌道をそらし、そのまま相手の脳天に突き刺さります。捨て身の極意です。

最初は放課後の掃除のときホウキでチャンバラごっこをする小学生と変わりません。でも毎日毎日、剣を振り続けるのです。最低でも数年間はひたすら続けるのです。そうするといつしか自分の振りが相手の頭を真っ二つに割る、必殺の技となっていることに気づくでしょう。

『量は質を変える』のです。

英語の音読も然(しか)り。最初は意味の分らないお経でも唱えているようなものです。でも毎日ひたすら繰り返すのです。一日一回、30分は何も考えずに目の前の英文を声に出して読むのです。発音は少しぐらい下手くそでもかまいません。辛うじて通じる程度でよし。朝起きてから顔を洗ったり、歯を磨いたりするのと同様に、意識的な努力のいらない「日常の習慣」となるまで続けましょう。するとやがては書かれた順に、話された順に英文を「情報として処理する回路」が脳内に形成されていきます。英語も自然言語です。人間の脳ミソで処理できるような仕組みになっているのです。

英語で「考える」なんて、そんなことが果たして可能なんだろうか?

これは「バカ正直に」、ひたすら続けた「物好き」だけが、自ら体験することでしょう。(by 柳浦)