「進路」について考えてみよう

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4月8日の安倍首相による「緊急事態宣言」以来、街はすっかり静かになりました。学校もカラオケも、ゲーセンもお休み。大人の娯楽、パチンコや居酒屋、綺麗なオネーちゃんに会えるお店さえも休業状態。筆者のようなオッサンでも生まれて初めて見る光景です。まるでSF映画の一場面だ。

前回のブログでは突然の「長い春休み」を自分のために活かそうよ!という主張をしたけれど、キミはどう過ごしているだろうか?今回は「進路」についてジックリと考えてみよう。

さて、まずは聞こう。「君の名は。」といえば何を連想するかな?

「宮水三葉と立花瀧のカラダが入れ替わる、あのアニメに決まってるでしょ!」とキミは思うだろう。「氏家真知子と後宮春樹のアレやろ?ボーキャクは忘れ去ることなり、ってやつ」と答えるのは後期高齢者か、あるいはもう天国(か地獄)に逝っちゃったヒトです。発明王エジソンは晩年に死者の声を聞く「霊界ラジオ」を開発しようとしていたとか。このラジオがなければあの世のヒトの意見なんてわかりませんな。

後者は戦後間もない昭和20年代に大ヒットしたラジオドラマ「君の名は」です。句読点のマルはついてません。その後映画化され、「銭湯の女湯がカラになる」という映画会社の宣伝文句が流行語となりました。当時「現代用語の基礎知識」があれば間違いなくランクインしたことでしょう。

「どちらも若い男女のすれ違いを描いている」といえなくもありませんが、世代が違うと知識や認識にうんとギャップがあることを示している、と筆者は理解しています。「ジェネレーション・ギャップ」という、使い古され手垢にまみれたことばと共に、息子や娘の話題についていけず、相手にされない哀しいオトーサンの姿が瞼(まぶた)に浮かびます。

が、しかーし!チョット待ったぁ~!!私たちがホモサピエンスである限り、老若男女、世代も国境も越えた変わらぬ「真理」があるのです。そのひとつがヒトの「心の発達」、「人格の成長」に関する事実です。筆者はこの現象を「心の刷り込み」と呼んでいます。

鳥のヒナは卵から孵(かえ)った直後、初めて見た「動く物体」を自分の親だと思い込み、どこまでもその後をついて行くそうです。この現象を研究したコンラート・ローレンツというオーストリアの学者は1973年にノーベル医学・生理学賞を受賞しました。この不思議な大自然の摂理を「刷り込み」といいます。

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私たちの人格が成長するプロセスでもこれと似たことが起こります。10代から20代初めにかけての思春期に「心から感動する出来事」、「骨身に染みるような経験」に出会うと、その個人はその後ずーっと、恐らくは一生の間、その影響から逃れることができないのです。岡潔(おかきよし)という、数学の世界的権威はこの「人生の臨界期」を「14歳」とピンポイントで指定しましたが、私たち凡人はこの期間をもう少し広めに考えてよいでしょう。

また、トロヤの遺跡を発掘し世界史を書き換えた19世紀の考古学者ハインリッヒ・シュリーマンは幼い頃にクリスマス・プレゼントでもらった絵本の挿絵を見て、当時は文学作品中のフィクションと考えられていたトロヤ戦争を歴史的事実だと確信します。彼はこのときトロヤの遺跡発掘を決心したといいます。その後一家離散という不幸に遇いながらも働く傍(かたわ)ら語学の猛勉強を続け、40を過ぎてから「少年の夢」を実現しました。ここまでくると一種の「ヘンタイ=天才」ですな。

私の周囲にもこの「法則」を体現する人がいます。親戚同様の付き合いがあった家庭のお嬢さんです。幼い頃デビュー当初の橋本環奈にチョットだけ似ていた彼女は、大好きだったおばあさんをガンで失いました。当時まだ中学生だった少女は「この世からガンを根絶してやる」と決心し、医学を志しました。現在では医師として毎日多くの人の命を救っています。う~ん、エラい。そして眩(まぶ)しい。

「じゃどうすれば自分の適性がわかるの?」キミは知りたいと思うでしょう。

これにはチョットしたコツがあります。今回の「春休み」のようにゆったりとした時間があるときに、自分の内面と向き合うのです。「こんな就職をすれば親が喜ぶ、学校の先生に褒められる、友達に自慢できる」といった、「外を向いた価値の物差し」をいったん捨てましょう。インスタで「いいね!」をいっぱいゲットしたいという、他者の目線を意識した発想から離れるのです。

幼い頃からどんな事を好んだか、どんな人に憧れたか、どんな人を尊敬したか?歴史上の人物や有名人でなくてもいいのです。身の周りの肉親や親戚の中に候補が見つかるかも。5年後、10年後の自分を想像してみよう。「どんな自分」が見えますか?どんなことをしている自分を想像すると嬉しい気持ちになれますか?自分の「直感」、「内なる声」に耳を傾けましょう。しばらく続けているとヒントが見つかるでしょう。この「内なる声」をキリスト教では「良心」と呼びます。仏教でも宇宙根源の意識、ホトケと私たちひとりひとりは繋がっている、と教えています。

最後に注意をひとつ。このように自分の内面を掘り下げた結果として辿りついた「方向性」が、ちゃんと給料をもらえるような、現実的な仕事とすぐには結びつかない場合もあります。そんな時でも夢を捨てることなく、現実との「接点」、「落としどころ」を探ってみましょう。

筆者が敬愛する、ある武道の師範は若い頃、命を賭けて武の道を志しました。でも武道では喰っていけません。彼は建築の仕事を学び、やがて建築関係の会社を経営するようになります。仕事は成功し、自分の道場を持つことができました。今では豊富な資金で趣味の大名時計を収集し、数年前には「お宝鑑定団」BS版でコレクションを披露していました。堂々たるライフスタイルです。

筆者はどうしたかって?う~ん、立派なヒトを紹介した後で気が引けます。ホント。でもまっ、蛇足ながらお話ししましょう。

高校1年生の夏休み、ドイツ語学の天才関口存男(せきぐちつぐお)という先生の「私はどういう風にして独逸(ドイツ)語をやってきたか」というエッセイを読み、すっかりハマりました。明治生まれで昭和30年代前半に亡くなった関口先生は一生ドイツに行きませんでした。それにもかかわらず、ドイツ人が聞いてもネイティブと区別のつかないドイツ語を流れるが如く話し、そのうえドイツ語で短編小説まで書いたという、まさに奇跡の人です。晩年に周囲から「なぜドイツに行かなかったのですか」と聞かれると、「ドイツはそこにある」と言って書斎の本棚を指したとか。ううっ、カッコよすぎる。剣道を志す者が宮本武蔵に憧れるが如く、筆者はこの「未見の師」の背中を追い続け、気がつけば語学を仕事としていました。

さあ、今度はキミの番だ。「闘魂」とは畏れないこと、惑わされないこと、動じないこと。「過激」とは頼らないこと、決して立ち止まらないこと。

時として厳しい現実からも逃げることなく、真っ正面から向き合おう。自分を信じ、明るい未来を信じ、最初の一歩を踏み出そう。レッツ・ビギン!

ってか、ここであの懐かしの昭和レトロ「熱血!学園青春ドラマ」を連想したヒト、トシですなぁ。「ジェネレーション・ギャップ」ってやつかね。へへへへ。(by柳浦)