経短の「文学」の授業、あるいは、こども学科で古典文学を学ぶということ

 こども学科の「文学」(教養科目)の授業では、主として『源氏物語』を取り上げています。本学では小学校教諭の免許状も取得でき、小学校国語科の教育課程に古典の要素が入っていることをふまえれば大きな驚きはないかもしれません。しかし、受講者の中には保育士志望の学生、幼稚園教諭志望の学生もいます。いや、それどころか、受講者の大半は幼保の保育者志望の学生です。そうしたことを考えると、「なぜ保育者養成の学校の授業で『源氏物語』を?」と首をかしげる人も少なくないことでしょう。そのような当然の疑問を頭の片隅に置きつつ、授業内容の一端をご紹介します。

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 『源氏物語』は今から千年前に成立した物語作品です。作者はご存知のとおり紫式部ですね。ここで一つの問いを立ててみましょう。その問いとは、どうして紫式部が『源氏物語』の作者だと分かったのだろうか、というものです。

 この問いを読み、何をそんな当たり前のことを、と思う人もいることでしょう。現在、書店に並んでいる本を見れば必ず作者名が書いてありますし、作文を書く際に原稿用紙に自分の名前を書き記すことは常識です。そのことをふまえれば、紫式部も自分の名前を原稿に書き記したのだろう、と想像する人は少なくないはずです。しかし、紫式部の自筆原稿は今や残されていませんし、数ある写本(昔はコピー機など当然ありませんから、手書きの複製本を作ります)のたぐいにも紫式部の名は見えません。つまり、『源氏物語』は原本がもはや存在せず、残されている写本を調べても作者に関する情報は得られない状況にあるということなのです。にもかかわらず、作者は紫式部だと特定されているのです。

 どのようにして作者が特定されたのか、ということについては授業での解説に譲るとして、ここでは「当たり前」「常識」といったことに目を向けてみましょう。さきに、本には作者名が記されていること、作文等では執筆者が原稿用紙に自分の名前を記すことについて触れました。いずれも我々にとって常識であり、当たり前のことです。しかし、紫式部が生きた時代にあっては、それは必ずしも常識ではありません。だから、写本のどこにも紫式部の名は見えないのです。

 この事から分かることは、「当たり前」や「常識」はいつでも、どこでも同じというわけではない、ということです。そして、ともすると我々はその事を忘れて、「自分にとっての当たり前や常識」という尺度でものを見がちである、ということも見えてくることでしょう。本には作者名が記される、原稿用紙には自分の名前を書く、ということをふまえて、『源氏物語』にも紫式部の名前が記されているはず、と想像したことが、まさにそれです。

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 こども学科の「文学」の授業では、千年前の読者はどのように読んだのだろうか、あるいは、作品の成立期から現在までの約千年間の間にこの作品を手にした様々な時代の読者はどのように読んだのだろうか、ということを軸に現代語訳も適宜活用しながら『源氏物語』を読み進めています。そうした試みの中では、現代を生きる自分とは大きく異なるとらえ方、考え方にも出会うことでしょう。そして、立場を変えて読み込むことで、自分があまりにも自分の当たり前、自分の常識という狭い範囲の中で物事をとらえる存在であることにも気が付くはずです。

 立場を変えて読み込むこと、これは教員や保育者に求められることでもありましょう。教育や保育の世界でよく用いられる言い方に置き換えるならば、子どもの立場で考える、子どもの心情に目を向ける、といったものです。教員や保育者を目指す学生がその姿勢を身に付けていくにあたり、文学、とりわけ古典文学の学習は有効だと授業を通じて実感しています。

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 自分の当たり前を物差しにして物事をとらえるのではなく、異なる誰かの立場に身を置くことから見えてくる新たな発見や驚きを楽しんでほしい、そう思いながら授業を行っています。そして他の授業での学びと組み合わせながら、「他者」である子ども一人ひとりの目線を意識して物事を考えることのできる教員や保育者へと成長を遂げていってほしいと願っています。

(高野)

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※画像は、私の研究室で所蔵している「貝合(かいあわせ)」(レプリカ)です。『源氏物語』各帖の場面を描いた絵と和歌が磁器製の貝型に装飾されています。昨年度、『源氏物語』をテーマにした企画展示と講演を本学図書館主催で行いましたが、それに際し、市民の方が寄贈してくださったものです。授業で実際に手に取って鑑賞してもらえるようにしたいと思っています。