ハワイ真珠湾でSADAKOと出会う

このブログをご覧のみなさん、今から78年前、1941年12月8日にハワイで何が起きたかご存知ですね?そうです、日本がハワイの真珠湾を攻撃し日本とアメリカの間で戦争が勃発した日です。その後4年間にわたり、軍人だけでなく多くの民間人が犠牲となった悲劇の始まりでした。真珠湾への奇襲は宣戦布告の文書をアメリカ側に手渡す前に攻撃が始まったことから、「卑怯な騙し討ち」としてアメリカ人の復讐心を煽る出来事でした。これは日本側外務省スタッフの手違いでしたが、ボクシングでゴングが鳴る前に相手を殴るようなものです。「真珠湾を忘れるな」がアメリカ人の合言葉となりました。

このため真珠湾にある資料館の展示資料は戦後長らく日本に対する厳しい見方が反映されていました。簡単に言うと、「狂信的な軍国主義に凝り固まった日本人を相手に正義と民主主義を信条とするアメリカ人が勇敢に戦い、最後に正義が勝利した」という筋書きです。暴れん坊将軍や仮面ライダーのように、良くも悪くも「正義」と「悪」がハッキリと分かれた世界観ですね。

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ところが今年の2月、真珠湾を訪れた私は展示内容にある変化が起きつつあることに気づかされました。当時の国際情勢の分析ひとつを取っても、日米がなぜ戦争に突入したかを客観的に捉えようという意図がより鮮明に感じられるのです。また、ミュージアムショップのおみやげの中に「SADAKO」という絵本や折り鶴をモチーフとしたアクセサリーを見つけた私は衝撃を受けました。SADAKOとは、広島の原爆が原因で白血病となり幼くして命を落とした佐々木偵子さんのことです。彼女は病気の完治を祈って鶴を折り続けたことで知られています。戦争を相手の立場からも考えようという、成熟した視点がアメリカの人々の間に育ちつつあることを私は厳粛な思いで受け止めました。日本人とアメリカ人がお互いに相手の立場からも過去の戦争を振り返ること、そしてなぜ悲劇が起こったかを客観視することは真の和解に至る大切なステップであると思いました。

ホテルに帰りテレビを観ていると、三菱自動車と富士重工のCMが流れていました。三菱はゼロ戦を、富士重工の前身である中島飛行機は隼という戦闘機を製造していました。かつての「敵国企業」が生産するクルマに今のアメリカ人は拘りなく乗るのです。私は戦後74年という、長い時の流れを感じるとともにアメリカ人の「大人の対応」に敬意を表したくなりました。(by 柳浦)