『ひろはら』の頃 

4月に新学期が始まって、そろそろ夏休みも終わり、1年次生は、もうすぐ短大生活の1/4が終わろうとしています。2年次生は、9月の実習が終わると残り4ヶ月の授業で卒業になります。そんなふうに思っていると、卒業式のこと『ひろはら』のことが浮かんできます。そして、それらが独特の雰囲気の中でよみがえってきます。

『ひろはら』とは、子ども学科の前身初等教育科の創設時からある実習記録集のことです。実習の実施者は、この『ひろはら』に原稿を執筆することが義務です。このタイトルの由来は、学長によれば、卒業生たちが入っていく教育の限りなく広いフィールドを表し、そこへと巣立っていく卒業生にちなんで名付けたものであるとのことです。終わりのない拡大な教育・保育の世界のことです。本年3月に発行したものは40号、本学科卒業40期生(初等教育科からの通算)の実習記録が掲載されています。

ひろはら

私はこの『ひろはら』の編集を、この短大に勤務することになった翌年度(平成元年)から担当しています。(このところは、編集業務の大部分が高野先生の仕事になっていますが)。

『ひろはら』の気分は、幼稚園実習が終わって(一昨年までは小学校実習も同時期)教育実習事後指導 が行われる頃、その事後指導のなかで『ひろはら』の原稿執筆について執筆説明がありますので、その頃から始まる私の気分のことです。終わりが近づいていることの気分です。

学生が書いた原稿は、まず学生編集員が添削し、その後で、こども学科ができるまでは、100名を超える卒業生の原稿を私ひとりで添削していました。そのなかで『ひろはら』の気分は醸成されていくのです。

添削すると学生との距離が近くなり、これが終わりの気分と混じり合います。その学生の世界が私の世界の中に描かれ、学生が目指しているものやら、意図やらが読み取れて、存在が通い合うのです。私は大人数での授業が多いため、その頃まで実習指導クラスの学生以外のことはほとんど分かっていません。でも、添削をしていると、匿名的ではありますが学生の存在が身近なものになってきます。

最も印象深い学生は、文章はつたないが、何かその学生にしか見えないようなことを表現しようとして苦心している学生です。その他にも、文章は整っているが、出来合の文章で表現しているため、自分の世界の中に現れた事柄が隠れてしまって表現しきれないでいる学生。もちろん、文章も立派で読みやすく自分の存在の証が表現されている学生の文章もあり、様々です。それぞれの文章が色々な意味で、学生自身を表しており、そこで私は学生の存在そのものに触れるのです。そうして、学生との距離が、私には卒業を前にして縮まっていきます。

2年間弱の学習の成果がそこで初めて見えます。視点が私たちと同期して(ここではこのようにしか言えませんが)、同じ仲間に見え、同僚になったと感じるのです。そして、別れるのが辛くなるような、なにかそこに独得の情緒が醸し出されるのです。これが、『ひろはら』の気分です。

卒業式の前日、『ひろはら』の出版を祝うパーティが行われます。これは学校行事としての、実習の事後指導としてのパーティです。ですから、ただ『ひろはら』の出版を祝うだけでなく、私は本学科の2年間のすべての教育課程の終わりであり、まとめであると思っています。人生にはいろいろな終わりがあります。そしてどん詰まりの終わりは「死」です。やがて人間であるなら、誰にでも死が到来します。その時のために、豊かに終わるために終わりを経験し学ぶのです。このパーティは、そのためのものでもあると考えています。

その翌日、このパーティでのことを背景にして、卒業式の荘厳厳粛を最後の仕上げとして経験し、さらに大きく成長するのです。学生たちは卒業式で、学生たちを祝福の目で見守る保護者、来賓、学校関係者の前で、呼称に応じて「はい」と返事をします。そのとき学生の返事は、学生個人だけのものとしてではなく、そこで見守る人々と共なる返事となり、そしてそこで「公」に出会い、精神的に生きる可能性を経験するのです。

私は前日のパーティでそのことを、認識的に学べるように話をします。それは本学科が、教員養成・保育士養成の学科だからで、卒業して現場に出れば、自分がそれらを運営する立場になるからです。そして、それは学校行事としての重要な教育課程の一つだからです。

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 私は、パーティの祝辞で次のように話をします。まず、自分の行為が他人に優しいものであるようにと。学生たちは、自分のゲラ刷りを校正します。その時の校正記号や訂正、自分の文章の内容の修正が印刷所のオペレーターに解りやすいようにできたかどうかと話します。どう直したか解らないような、独りよがりのものがあるからです。そうするとオペレーターは時間をかけて解読しなければなりません。無駄な時間を過ごさせることになります。無駄な労力が少なくなるように、ちょっとした気遣いをするのです。少し相手のことを考えれば、こうした作業にも潤いが生じます。

また、これを発展させれば、自分の文章作成が読む人に解りやすく優しい、読みやすい文章になります。学生には、最終的に添削済みの元原稿、校正がなされたゲラ刷りなども『ひろはら』と一緒に、その日配布されます。それらをよく見て、どんなふうに直されたか、自分の意図通りに他人が読み取れるのか、視点の違いなども意識するように話しをし、これからも一生をかけて、読む人に優しい文章が書けるように学び続けて欲しいと話します。

次に『ひろはら』を卒業後も大事にして、折に触れて読み返してもらいたいと話します。『ひろはら』には、教育実習で学んだ様々なことが記されています。学生は、それぞれ子どものこと、指導されたこと等々、心から学んだ様々なテーマで書いています。けんかの仲裁のことなども書かれていて、困ったときに、辞典のように使うこともできます。また、自分の実践が行き詰まったときに初心に戻るために読むこともでき、そうすると新たな視野が開けるかもしれませんし、新鮮な気分に戻ることができるかもしれません。ベテランになって教育が習慣的になってしまうと、子どもたちの豊かな成長も止まってしまうかもしれません。さらには、実習の時との世界の違いや同じ事柄が異なるように見えたりして自分の成長や存在の変化がどのように現れるのかが理解され、場合によっては退行を感じるかもしれません。

ひろはら出版記念

教師は何かにつけて、教訓を垂れたがるもので、つい話しが長くなってしまいます。ですが、大事なこととは話しておかねばと思い、次のように話を続けます。それは教育における「形態化」のことです。私が本学科の最後の仕上げと思っていることで、普段の授業では経験できないことです。その「形態化」とは、教育・保育における子どもの発表会などで、観衆がいることによって、何か新しいこと、美しいこと、優れたものが生まれるということに関係しています。そこには、意識的な努力によって何らかの美的要素を持つ良い形を与えるということが含まれます。ただしそれは、合理性を追求した結果、生まれることとは違います。例えば新幹線の流線型は美しい。その形の美しさは、空気や水の抵抗を最小にしようとする目的を合理的に追及した結果であり、機能美です。これは「形態化」の目指す美とは異なります。形態化のほうは、合理性を追及した後で、さらに形を美しく変化させる余地がある時に起こるのです。形態化においては、あるものを、ある目的のために作ろうとする可能性の範囲内で、見た目にも好ましい形に変化させることなのです。

これを教育に当てはめてみましょう。子どもは、学校行事で大きく成長する、とよく言われます。運動会、生活発表会、音楽発表会、オペレッタの発表会。ここでの成長は「形態化」に関わります。まず、身体運動、表現はそのそれぞれの目的を追求して、身体運動の合理性また相手に表現の内容を的確に伝えるための表現技術の適切性を完成させます。これらを完成させた後、観衆がいればその見る人のために、身体運動や表現には美しく形を変えるための余地が残っています。子どもたちは観客がいることによって美しく形を変えますが、その観客の目は子どもたちの成長を喜ぶ温かい目でなければなりません。そうであるならば、そのとき発表している子どもは見ている人と共に発表していることを感じて、自分の成長を喜んでくれる目で見ている他者と出会うのです。こうして子どもの対人関係が変わります。そしてそこで、それまでの実力以上のものが発揮されることも起こるのです。あらゆるスポーツがオリンピックや運動会のような形で、お祭りのように見られることを望むのは、形態化されることを望むからです。そのときの身体運動は、もはや単に目的を達成するためだけの、また、その運動がうまくいっていることから溢れ出てくる表出以上のものになります。そして、行為者一人の運動ではなく、見る者との共なる運動になるのです。その時、なにか大きなものに出会います。その経験こそが、日常生活の合理的な理解を克服し、精神的なもので生活を貫くことへの準備となっているのです。(『人間学的に見た教育学』第二版 O.F.ボルノー 1973 pp.244~274)

教育に携わる者は、このような現象の意味を知っていなければならないと私は思います。だから私は、パーティで教育や保育に携わるようになる卒業生に次のように話します。

「もうすぐ皆さんは、運動会や発表会を準備、運営することになります。ですから、そこでの子どもたちの成長について知っておいて欲しいと思うのです。このパーティでも、実習の思い出の発表、詩の朗読があります。その発表の中でどういう経験をするのかを体験して貰いたいのです。これもこのパーティの目的の一つです。皆さんすべてに発表して貰いのですが、時間に限りがあります。聞いてる人も自分が発表しているつもりで、一体となって聞いて下さい。それから、観衆も大事です。子どもが成長するには見る人がいて、成長を喜んでくれる人が必要です。冷やかすような眼で見たり、冷たい眼で見たら、子どもはつぶれます。温かい目で見れば、子どもの対人関係は変わり、そして「公」に出会うのです。そのようにも聞いて下さい。」

子どもの世界の中で他者の意味が変われば、道徳教育にもなります。自分の目的を目指しつつ、自然に人のためになることをするようになります。衝動的にではなく、精神的に生きることができるようにもなるでしょう。好きなことをして、人のために役に立つ、というふうにです。 そうなれば、子どもたちの人生は大変は幸せなものになることでしょう。

だから、発表する方も、聞く方も、その両方を体験してもらいたいのです。

 ひろはら出版

 パーティのスピーチの最後に、卒業は一つの終わりであることを話します。学生は卒業を境に、存在の仕方が変わります。学校で学ぶ存在と、現場に出て目の前の子どもたちに保育・教育活動を実践する存在とでは異なります。一般的にいえば、学ぶ存在と実践する存在です。前者は、まだ足りないまだ足りないと、自分がもっと学ばなければならないことを意識し、知識や技術を得ようとします。そして、試験では点を取り合格し無ければならない存在です。後者は、そうではなくて、それまで学んだことを状況に応じて組み換え、創造的に対応しなければならない存在です。その中で、新たな知識や技術を必要なら身につけようとします。だから、己の存在の切り替えが必要なことを話します。なぜなら、短大の成績が優秀なのに、現場に適応できなくて、短期間のうちに離職する卒業生がいるからです。卒業を境に一つの区切りをつけることが必要になります。そして新たに出発しなければならないことも話します。

その区切りは、一つの状況の終わりです。終わりとはどういうものか、その意味を知ることはその後の人生のために大変重要なことだと思います。終わりに到って後悔しないためです。終わりのどん詰まりは「死」ですから、豊かな人生を全うするために必要なのです。その意味は、学校という状況の中では、その中での自分の可能性を実現するために計画する(投企)ことが不可能になることです。死においては、己の可能性を投企することがすべて不可能になります。そして、死はいつ来るか分かりません。とすれば、ある状況の中での一瞬一瞬がとても大事であることは、理解できるでしょう。(この考えは、ハイデガーの『存在と時間』第二編第一章での解明に基づくものです)。

そのことを、挨拶の最後で話します。卒業後の人生が充実した豊のものになるように、そして教師・保育士として日々成長していくために毎日一つずつでも己の存在にくい込むような「真の学習」をしていって欲しいことを話します。毎日同じことをしていては、成長は止まり自分の存在は豊になりません。

以上のことを伝えれば、後は「形態化」の最大の実践である卒業式を経験 することによって、心置きなく卒業させることができるのです。

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 そのようにして卒業式が終わると、今度は、教師としての私自身の方に自省の眼差しが向いてきて、ある気分に支配されます。そして、心が少し痛むのです。学生たちが卒業後、真の教育者・保育者を目指して豊に成長していって欲しいと願うのですが、私はその真の教育者・保育者への道筋を示すことができたろうか。私は自分の無力さを伝えることができたろうか。そういう思いが生じるのです。

中世の教父アウグスティヌスは、「教師論」で次のように言っています。

「……、教師とは自己の無力を自己が教えるところの人々に自らさらけ出す人のことである。そして、このことは、自らが来たるべき世代に服されてゆくように来たるべき世代をこのようにして強めてゆく存在なのである。」(『教育思想史Ⅱ 古代キリスト教の教育思想』上智大学中世思想研究所編 1984 pp.338~340)

アウグスティヌスは、教育を世代間の関係も含めて考えています。すなわち、「教師の目的とは、自己の背負う権威を残りなく伝え、文化の名において相手の野蛮と戦いこれをうち負かしつつ、相手を強めてゆき、自らの憧僚を示すことによって自らの無力をさらけ出し、自らが何時の日か相手に克服されてゆくこと、これである。教師とは自らが敗北者となることを願う悲劇的存在である。自らが没落することを望むこと切なるほど、それだけまた人類に希望すること大きな存在である。」(同上)と。

教師は、まず示範を行ったり、情報を伝達したりします。知っている者が知らないものに教えます。これによって教師は知恵や技術のある者として崇められます。しかし、これはどうして可能なのでしょう。世代間の関係から考えた場合、教師はつなぎ役で、その教師が偉大だからなのではなく、人類のそれまでの文化的遺産が偉大であるからにほかなりません。アウグスティヌスは言います。教師の最初の仕事は「野蛮の中に文化を樹立すること」、これはある種の戦闘なのです。教育とはそれゆえ、後から迫って来る、まだ文化に浴する前の本能の挑戦に対して、そのエネルギーをよりよき文化に昇華させるために、従来の文化に触れさせ、それが何かを体得させるために応戦する権威の対応の姿なのだ、と。

しかし、その文化は一つの答えであるにすぎません。アウグスティヌスは、さらに述べます。教師も生徒も神の前では平等であり、教師も一人の学ぶ者です。後の世代も文化に浴することによって、対話が可能になるのです。(アウグスティヌスは教父ですから「神の前では」と述べますが、私はこれを「真理の前では」と置き換えます。)すなわち、教師も真理の前では一人の学ぶ者です。教育は、その時、戦闘と同時に対話となるのです。だから「己が教師の称号を受くな」とアウグスティヌスは言います。

しかし、教師が学ぶものとして自らに問題を課するとは、教育においては一体どんな意味をもつのでしょうか。それは人類全体の課題のように、自分で解けない問題についての自らの不成功を人々に示すことであります。それは自らの憧憬が何であるかを示し、自らが属する世代の限界と希望とを、それに続く世代に最も痛切に証立てることなのです。我々の世代の憧憬が次の世代の課題として提示されるのです。それが我々の世代が、次の世代に贈る問題なのです。

しかし、これは自分の精神の奥深さを示し、自慢することではありません。むしろ、この課題が憧憬でしかないところの、自己の無力を示すことなのです。かくして、教師とは自己の無力を自己が教えるところの人々に、自らさらけ出す人のことなのです。そして、自らが来たるべき世代に克服されてゆくように、来たるべき世代をそのようにして強めてゆく存在なのです。すなわち、自らの憧僚を示すことによって自らの無力をさらけ出し、自らが何時の日か相手に克服されてゆくのです。

だから、教師とは自らが敗北者となることを願う悲劇的存在なのです。自らが没落することを望むこと切なるほど、それだけまた人類に希望すること大きな存在である、とアウグスティヌスは言うのです。

このようなアウグスティヌスの考えが、私は好きです。それゆえ、私は、自らの憧憬を示すことができたのだろうか、己の無力を伝えることができただろうか。そして、次の世代へ課題を引き継ぐことができたろうか。未来を学生たちに託すことができたのであろうか。それ以前に、対話が可能となるように、現在の文化に浴せしめ、繋ぎ役となることができたのであろうか、といった思いが生じてきます。

いずれにせよ、共に過ごした2年間があり、それによって卒業生とは同僚になります。同じ地平を備えた、話の通じる同僚です。だから卒業式のあと、最後に、何時でも話しに来て下さいと言って、別れるのです。

こんなことを思いながら、なかなか難しいことではありますが、学生と過ごす一瞬一瞬を大事にしようと、思いを新たにするのです。(大沼)

卒業式