月日は百代の過客にして・・・

 日本の交通機関は、東京を起点に鉄道、道路、航路、航空路などが縦横無尽に張り巡られている。私達が仕事に、学校に、旅行などに出かける場合にはいろいろな交通手段を工夫・選択しながら事を成就している。しかし、人間の最も基本的な交通手段は「歩行」、すなわち「歩き」です。交通機関が便利になると老若男女、「歩き」を「健康の手段」として、また「自然を観察・楽しむ手段」として沢山の人達が実践してます。しかし、人生を犠牲にして歩いて世間を見てみようと思う人はあまりいません。
 俳人・松尾芭蕉は、江戸時代に「歩行」で東北・北陸への長い旅を実践しています
  
  松尾芭蕉の銅像

松尾芭蕉を「長い旅」へ駆り立てる動機は何でしょうか(西行の奥羽行脚と先人たちの体験した喜怒哀楽の追体験らしい?)。
 元禄二年(一六八九年)三月二十七日、陽暦で五月十六日、芭蕉四十六才の時、曽良とともに江戸・深川から隅田川を船で千住宿(奥州街道・日光街道の最初の宿場)に向かい、そこから歩いて草加、粕壁(最初の宿泊地)、古河を通り一路東北の一関、平泉へ向かい、さらに北陸を旅しながら最終目的地の大垣まで、行程約二千四百キロを走破しています。
  地図

 千住宿を出発する三月末(陽暦五月十六日)、すでにさくらの咲く季節が過ぎ去り、辺りにはいろいろな木々の若葉が生い茂る頃です。柔らかな風が若葉を揺らし、それが一層東北への旅心を駆り立てるような季節です。
 「月日は百代の過客にして行きかふ年も旅人なり」
 (月日は永遠に旅を続ける旅人のようなものである)
  千住大橋・出発地 

 
別れを惜しんで千住宿まで見送りにきた門人・知人、そしてたくさんの餞別を抱えながらの出立です。 
 「行く春や 鳥鳴き魚の 目は涙」
 (今は春も過ぎ去ろうとしているが、それを惜しんで鳥は悲しげに鳴き、魚の目は涙でうるんでいるようだ。私もまた、今親しい人々と別れて、遠いたびに出ようとしている)
 芭蕉、曽良の二人は、見送りの人達と別れ、たくさんの荷物を肩に背負いながら日光街道の最初の宿場町、草加宿に向けて歩き始めています。最終目的地、大垣までは、気が遠くなるような長い道のりです。
「奥の細道・俳句」日栄社参照 (by 澤村)